浄源寺

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2017年6月

 平信兼が籠城したとされる高城山の滝野城跡の麓に浄源寺がある。今風のお寺の佇まいでこれといって特別な雰囲気は感じられない。寺院明細帳によれば、平信兼の家臣である平正義の末孫正忠が元祖菩提のため真宗に帰依し、明暦二年(1656年)に一宇を建て弥陀を安置したことに始まるとされる。

 また天保九年(1838年)に住持により奉納された鐘銘によれば元暦(1184-85)・文治(1185-90)頃には「真乗寺」と呼ばれており、貞享年間(1685年頃)に浄源寺と改められたという。

吾寺在元暦文治之間号真乗寺廼当時郡守柳瀬某之所建而法器亦無不備 然不知為何宗云 屢歴残虐存与時進止 然綿綿不絶 貞享年間改号浄源云 皆村老之口碑也

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 平信兼が籠城した滝野城合戦が元暦元年なので、この時にはすでに「真乗寺」と呼ばれていたお寺が存在していたことになる。明暦二年に平正忠が先祖菩提として一宇を建てているが、真乗寺が廃れてしまったのか存続していたのかは不明である。
 お寺でいただいた略年表によれば、正忠は浄土真宗の寺に法名釈浄玄(浄現)と名乗るとある。情報が断片的すぎて事歴が一本の線にならない。それほど資料が残されていないということなのであろう。しかし鐘銘には信兼の名も、菩提の文字も記されていないのは腑に落ちない。
 現在の本堂は比較的新しく感じるが、文政三年(1820年)大定法師の作成された過去帳によれば、過去に三回焼失して再建されていることがわかる。初回は応永年間(1394年頃)に焼失し、享保年間(1716-35)以後に再建されたとみられている。次は再建後すぐに焼失し明治10年に再建されるも翌年に再び焼失し明治17年に再建され現在に至る。六間×六間の入母屋造で再建当初は草葺であったが、その後に桟瓦葺に変えられている。なお昭和53年には大修理が施されている。

 本尊の阿弥陀如来立像や梵鐘の他に阿弥陀如来図、親鸞上人・蓮如上人・聖徳太子画像などが伝えられているが、過去帳の一部に信兼の名が見つけられるという。

抑当山者応永之頃罷祝融之災堂宇悉法諱記灰尽 依之中興第二十六世釈大定法師
文政三庚辰之春令集録者也
元暦元年
        俗名柳瀬前
和泉守平信兼郷
寿元院殿歓誉道喜大居士
三月二十日
  彦太郎先祖浄源寺作事をと申候時者和州ノ檀那ニテ候也

 お寺の奥さんと話しをしていても、度重なる焼失でめぼしい記録は残されておらず、上記の内容以上に話しが広がることがない。かなり消化不良のまま寺を後にしたが、一番残念に思っているのは、奥さん本人かもしれない。

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 平信兼が城中に祀っていた三宝荒神は、落城の後に滝野郷の人々によって神原神社に祀られた。神原神社は明治期の神社合祀令で粥見神社に合祀され、宮址は今も「宮地(みやじ)」と呼ばれているが、そこは現在、神原生活改善センターとなっている。

 信兼はなぜ三宝荒神を祀っていたのであろうか?三宝荒神は日本特有の仏教における信仰対象の一つで、三宝である仏(仏陀)・法(経典)・僧(修行僧)を守る荒神である。また神道的解釈による三宝は、大年神、奥津日子、奥津比売の三神をさし、『古事記』によれば大年神は穀物神、御子神の奥津日子と奥津比売は竈の神である。
 荒神とは十分に畏敬の念を示さないと人々に災厄をもたらす荒ぶる神といわれている。三宝と荒神が結びついて三宝荒神が生まれたという説を見い出すことができないが、竈神としての三宝荒神は、地神盲僧と呼ばれた民間宗教者が地神経を唱えて地神や荒神の祓いをして歩いたことにより、徐々に広まっていったと考えられている。

 その教えによると、三宝荒神は祟りやすく恐ろしい神であるが、正しく祀ると火伏せの霊験があり、祀った家は栄えるといわれた。そのため、民間では一般的に竈の神、台所の神として信仰され、江戸時代の民家の台所には必ずといってよいほど祀られていた。
 三宝荒神の像容は三面六臂(三つの顔を持ち腕は六本)もしくは八面六臂(三面の上に小面五つを持つ)で、三面とも逆立てた頭髪に宝冠を戴き、目を吊り上げ、暴悪を治罰せんとする慈悲が極まった憤怒の相を示し、密教の明王像に通じるものがある。

 六臂の持物は一般的には、右手に独鈷・蓮華・宝塔(五鈷杵・金剛剣・矢)、左手に金剛鈴・宝珠・羯磨(金剛鈴・弓・戟もしくは槍)という形がとられる。

 地神盲僧と盲僧琵琶は同類と考えて良さそうである。奈良時代に端を発する盲僧琵琶による三宝荒神布教は、信兼の時代には最先端の教えであったかもしれない。信兼の三宝荒神がどのようなものであったか知る由もないが、神原神社が合祀された際に三宝荒神が粥見神社に遷されたのかどうか記録上では確認できない。

<参考>

『飯南町史』
『古事記(上)全訳注』次田真幸
『日本石仏事典』庚申懇話会編
『総図解よくわかる日本の神社』渋谷申博

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